縁を結んで紡ぐ旋律 ―「ものづくり」と「おとづくり」―
紀尾井ホール開館20周年記念バロック・オペラ
ペルゴレージ 歌劇「オリンピーアデ」
紀尾井ホール
大野はな恵[メセナライター]
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東京の四ッ谷駅。改札を出て、上智大学の瀟洒なキャンパスを脇目に少し歩く。この界隈は、迎賓館やホテルニューオータニにも近く、格調高い雰囲気が漂う。目指す紀尾井ホールはすぐそこだ。今回、訪れたのは、紀尾井ホールの開館20周年記念として制作されたペルゴレージ作曲の歌劇「オリンピーアデ」である。いわゆる、バロック・オペラの一演目で、本邦では初演となる。2020年に東京での開催が決定したオリンピックは、スポーツのみならず、文化の祭典でもある。「オリンピーアデ」の初演は、一足先にオリンピックの高揚感を感じさせてくれた。
このオペラは、古代ギリシアのオリンピック競技で優勝したものに美しい王女が与えられるという約束と、その約束を巡って運命に翻弄される二組の男女を中心とした物語である。溌剌とした序曲は、一瞬にして私たち観客を、爽やかな風とともに古代ギリシアの世界へと誘ってくれた。ギリシアの町並みを思わせる白い階段が据えられた舞台に、青を基調とした陰影豊かな照明が差し込む。そこに、情熱、怒り、嫉妬や絶望といった心情の動きが、豪華なキャストによる美しい歌声で描かれ、織り込まれていく。なかでも、友情と嫉妬の間で苦悩しながらも威厳あふれるメガークレ、策謀をめぐらす姑息なリーチダという二人の男性役は難しい役所どころ。歴史的には、「カストラート」という特別な男性歌手によって歌われた役を、二人のソプラノが好演した。
今年は、紀尾井ホールと共にその運営主体である新日鉄住金文化財団が産声を挙げてから20年目の記念すべき年。自然と関係者の声にも力がこもる。「紀尾井ホールはバロック・オペラに理想的なサイズですが、実は、自主制作でひとつのオペラをやるというのは初めて。今回の試みは、ホールの更なる可能性を追求した『どこまで挑戦できるか!』という企画です」と語るのは新日鉄住金文化財団の制作部チーフマネージャー花澤 裕さん。日本では未上演だった演目をあえてやろうとするアツい意気込みがある。もう一人のアツい男、制作部長の山口真一さんは「もちろん、2020年の東京オリンピックに向けて紀尾井ホールならではの発信をしたいという意識はあります。反響によっては再演をしたい。それを含めて挑戦です」と力強い。実は、新日鉄住金株式会社とオリンピックには浅からぬ関係がある。新日鉄住金は、その母体となった新日本製鐵―住友金属時代からオリンピック選手を数多く輩出してきた。1964年の東京オリンピックに出場したマラソンの君原健二選手や柔道の吉田秀彦選手、西山将士選手、バレーボールの真鍋政義選手や中垣内祐一選手、野球では野茂英雄選手などが日本中を沸かせた。
新日鉄住金文化財団の花澤さんと山口さん
もちろん、新日鉄住金とクラシック音楽との係わりも深く、長い。日本で西洋音楽を聴く機会が少なかった戦後間もない1955年、ラジオ番組「フジセイテツコンサート」、後の「新日鉄コンサート」の企画・番組提供をしたことに端を発する。そして、90年に「新日鉄住金音楽賞(旧称・新日鉄音楽賞)」を創設し、95年にはレジデント・オーケストラ「紀尾井シンフォニエッタ東京」と「紀尾井ホール」を設立した。歴史と共に、音楽メセナ活動の幅は広がっている。鉄鋼会社がオーケストラとホールを運営するというユニークな活動は、世界をつなぐ架け橋ともなっている。例えば、紀尾井シンフォニエッタ東京は、2012年に米国国立美術館が主催した桜寄贈100周年記念コンサートに招かれた。紀尾井は桜の名所としても知られ、日米の桜を通じた交流の新しい一ページに相応しい。その後、進藤孝生社長(当時副社長)のリーダーシップのもと、この米国公演のチケット販売収入を使って、2013年から、東日本大震災で被災した東北地方への音楽支援活動が始められた。紀尾井から世界へ、そして再び日本へと交流の輪は着実に広がっている。
日本から米国に桜を寄贈した返礼として、2012年、米国から日本にハナミズキが贈られ、紀尾井ホールにも植樹された。
お話を伺っているなかで、山口さんが社業と音楽メセナの共通点を教えてくれた。「『ものづくり』と『おとづくり』は互いに共鳴するところがあるんです。鉄作りは繊細で、協力と連携が不可欠です。オーケストラが音に情熱を注ぐのと似ています」。紀尾井シンフォニエッタ東京のメンバーも製鉄所を見学した際に、音作りと製鉄の接点を感じたそうだ。鉄鋼マンと音楽家、想像したこともなかったが妙に納得してしまった。紀尾井ホールも新日鉄住金の鉄鋼マンたちが胸を張る高い技術力の結晶なのだ。建設プロジェクトチームは実に5年がかりで、世界中の著名なホールを視察し、音響や意匠性などを徹底的に検討した。花澤さんが、資材としての鉄へのこだわりと高度な建築技術について解説してくれた。美しい響きで満たしてくれるホールとして演奏家からも評価が高いが、確かに贅沢なホールなのである。
ところで、紀尾井ホールには洋楽ホールに加えて、邦楽専用の小ホールがある。都内でも邦楽に特化したホールは少なく、楽器を中心とした邦楽作品を流派の垣根を超えて聴くことが出来る稀有な場となっている。「紀尾井」という町の名は、江戸時代、この辺りに屋敷を構えていた紀州徳川家と尾張徳川家、彦根井伊家より一字ずつをとったものだが、その町に今なお、尺八や三味線、筝の音色が鳴り響くとは。長唄を嗜んだ新日鉄の故齋藤裕会長の粋な計らいは、今なお息づいている。多くの紀尾井ホール開館20周年記念公演のなかでも、来年3月に上演される泉鏡花の『歌行燈』を題材とした邦楽ドラマが面白そうだ。朗読と芝居、そして能が織りなす挑戦的な舞台だという。なるほど、紀尾井は、西洋と日本の出遭いの場でもあったのか。往時の縁を大事に繋げ、音楽を未来へと紡いできたこの桜の園に、これからどんな年輪が刻まれていくのだろうか。
2015年10月6日訪問
(2015年11月26日)