メセナアワード2007 メセナ大賞受賞

「美」を創造する企業としての文化支援

前田新造 株式会社資生堂 代表取締役社長

前田新造 株式会社資生堂 代表取締役社長

―大賞ご受賞、おめでとうございます。資生堂ギャラリーの88年におよぶ活動が高く評価されました。

まず、このような名誉ある賞を頂戴したことをたいへんうれしく思っております。資生堂ギャラリーは、1919年に初代社長・福原信三が開設したものです。銀座で化粧品を扱うようになったとき、そのビルの2階を、作品発表の機会に恵まれない若手芸術家に提供することから始まりました。今でこそ銀座といえば画廊という文化的なイメージがありますが、当時はまだ数少なく、パイオニア的な存在でした。その意味では、ソーダファウンテンを開設した資生堂パーラーとともに、今日にいたる銀座文化の形成に多少は寄与できたのではないかと思っています。
以来、これまでに3000回を超える展覧会を通じて、5000人以上の芸術家を紹介してきましたが、山本丘人や須田國太郎、駒井哲郎など、のちの日本美術史に大きな足跡を残された方も大勢おられますし、近年では蔡國強さんのように世界的なアーティストとなった方もいらっしゃいます。戦後は、彼らの創作活動を支えたいとの思いから、資生堂主催展に出された作品を購入してきました。このコレクションは、静岡県掛川市の「資生堂アートハウス」に収蔵して展示するほか、ご依頼があれば全国の美術館にもお貸しして、一人でも多くの方にご覧いただくことにも取り組んでいます。

―企業活動の一環としてのメセナの取り組みについて、どのようにお考えですか。

創設者の福原信三は、経営の中心に文化を取り込みたいとの思いを強く持っていて、「ものごとはすべてリッチでなければならない」「商品をしてすべてを語らしめよ」とよく口にしておりました。その確固たる美意識は、今でもモノづくりの面だけでなく、事業すべての細部にわたって貫かれ、「資生堂らしさ」をもたらしています。当社の事業は、いうなれば「美」を創造していくものです。したがって、まさしく「美」を追求し創造する芸術文化への支援は必然であり、企業の遺伝子の中に組み込まれているのです。
資生堂のメセナ活動は単にCSRの一環ということではなく、企業経営の一つの大きな柱となっています。当社は、芸術文化とのかかわりを大事にしてきたことが求心力となり、事業発展の礎になってきました。これは、私どもにとって大きな財産ですし、これからも変わることはありません。

―今後の御社のメセナ活動の方針についてお聞かせください。

資生堂ギャラリーでは昨年から、「shiseido art egg」と題して、若手アーティストの公募展を始めました。開設当初から、新進作家にとっての登竜門であり、多くの優れた作家を輩出してきたギャラリーにふさわしい、独自性のある企画だと思っています。
当社が創業以来変わることなく抱き続けてきた「新しい価値の発見と美しさ、豊かさの創造」という精神のもと、美術や舞台芸術を中心に、まだ評価の定まらない芸術活動へのサポートを継続していく所存です。このたびの受賞を励みに、今後も資生堂ならではのメセナ活動を通じて芸術文化の振興に貢献し、豊かな社会の実現のためにお役に立ちたいと考えております。

[聞き手:荻原康子|取材執筆:前川太一郎]


まえだ・しんぞう

1947年生まれ。1970年慶應義塾大学卒業後、資生堂入社。マーケティング本部化粧品企画部長、国際事業本部アジアパシフィック地域本部長、経営企画室長などを経て、2005年6月から現職。
趣味は音楽と映画鑑賞。学生時代はジャズバンドでトロンボーンを演奏していた。

 

メセナアワード2007 メセナ大賞受賞

株式会社資生堂
資生堂ギャラリーの運営

活動内容
1919年開設の資生堂ギャラリーは、現存する日本最古の画廊である。これまで多くの美術家に作品発表の場として貸与する一方、逸早く自主企画展にも取り組んできた。
1947年に発足した「椿会」は、一定期間同じメンバーで開催するグループ展で、川島理一郎らが参加した「第一次椿会」から、現代美術の中堅からなる現在の「第六次椿会」へと続いている。また、1975年から20年間行われた「現代工藝展」の出展作家のうち半数以上が後に人間国宝に認定されている。資生堂では、これらの展覧会に出品された新作を購入することで作家の創作活動を支えており、1978年には、コレクションを公開すべく掛川市に資生堂アートハウスが開設された。
1990年以降は、同時代の国際的な美術の動向に注目し、欧米やアジアのアーティストを紹介する企画展を実施。さらに企画展で取り上げたアーティストには、その後も継続的なサポートを行っている。昨年からは「新進作家の登竜門」との原点に立ち戻り、初の公募展「shiseido art egg」をスタートさせた。
88年間にわたり数多の美術家を世に送り出したギャラリーは、これからも、新たな時代の表現を求めて活動を続けていく。

1928年、前田健二郎の設計により新築落成した化粧品部外観。ネオルネッサンス風の意匠が施されていた。

同化粧品部2階、ギャラリー内観。新装記念展として福原信三自らが企画した「第一回資生堂美術展覧会」は、信三と親交のあった洋画家25名が新作を発表し、
当時たいへんな注目を集めた。自身が敬愛する作家を集めてグループ展を組織するというやり方は戦後の「椿会」に継承されている。

「椿会展2007」(2007年4月10日~6月10日)
第六次は伊庭靖子、塩田千春、祐成政徳、袴田京太郎、丸山直文、やなぎみわが参加する。
撮影:山本糾

「時光一察國強と資生堂」展「時光一蔡國強と資生堂」展(2007年6月23日~8月12日)
今や中国を代表する現代美術家となった蔡國強を資生堂は十数年にわたりサポートし続けている。
撮影:桜井ただひさ

資生堂アートハウス。
1978年に開設。資生堂ギャラリーで支援してきたアーティストの作品をはじめとする美術品約2000点を収蔵展示する。

企業プロフィール(2007年3月現在)
本社所在地:東京都中央区
資本金:645億円
設立年:1872年
従業員数:約3,344人
URL:https://gallery.shiseido.com/jp/

『メセナnote』52号掲載 2007年11月1日発行

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